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第十五話

last update Terakhir Diperbarui: 2026-01-05 18:01:06

 当然ながらペンキはすぐに乾かない。けれど稽古は始めたいので、舞台装置を自立させるためのものを取り付ける。演劇研究会で「足」と呼ばれている、三角形の木枠だ。これを舞台装置に釘で接続する。舞台装置に足をつけて乾燥させればその分スペースがあく。ペンキのにおいが薄くなるまで換気してから稽古が始まった。

 すでに脚本は完成していた。僕も全ての台本をもらっていた。脚本の題名は「the end of the world」。世界の終わり。僕は人より数倍以上の読書量だという自負はあり、物語に対して一定レベルの批評眼は持っているつもりだ。それでもこの脚本はおもしろいと感じた。それを個人の一大学生が書いたというのは驚きだった。もちろん台本には地の文の代わりにト書きがあって、僕は今まで台本を読んだことはない。台本として完成されたものかどうかはわからない。それでも物語として楽しめた。

 大学生のときに友人同士だった三人のうちの一人が卒業後に働き始めてから自殺するところから始まる、後悔と喪失と再生の物語だった。シリアスな場面とギャグシーンのバランスが良く、観ていて飽きさせなかった。

 僕は照明の助手をしているが、照明を操作するのは二年の佐藤先輩だった。みんなから旦那だんなと呼ばれている。よくわからない貫禄というか頼りがいがあり、太っていてひょうきんな先輩だった。

 照明にはいくつか種類がある。天井から舞台全体を照らす地明じあかり、上から一人にスポットライトを当てるサス、下から照らすフットライト、顔に影を作らせないためのフロントライト、舞台から客席に向かって光を当てるバックライト、横からスポットライトを当てるサイドスポット。多目的ホールに備えられた照明設備はこのくらいだった。僕はサイドスポットを動かす仕事を割り当てられた。照明は調光盤を使って操作するが、サイドスポットは独立して操作しなければならないので、一人専門でついて動かす必要があった。仕事は少ないが演出効果に与える影響は大きいので責任は重大だった。

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  • 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編   第十七話

     いったん昼休憩になった。今日は土曜なので大学生協は営業していない。みんなで大学近くのコンビニへ買い出しに行った。コンビニで買ってきた弁当を多目的ホールで食べていると、なんだか自分がまるで普通の大学生のように思えた。僕は人付き合いが苦手なので、あまり人と積極的にかかわらない。わざわざ人と違うことを自覚して傷つくことをしなくてもいい。そんなふうに思っていた。けれど大勢の部員と食事をしていると、なんだか自分が普通の人間みたいに感じる。これは錯覚だろうか。 昼休憩が終わり、午後からは客席を作るために、舞台台を積み重ねていく。舞台台というのは折りたたみベッドみたいな構造をしている台で、三十センチくらいの高さがある。それを階段状に積み重ねて、さらに椅子を置く。こうすることで映画館みたいな後ろに行くほど高くなる客席ができあがった。さらに客席が舞台台から落ちないよう、椅子同士をすずらんテープでしばって固定し、椅子と舞台台も同じようにしばって固定する。 つづいて客席の後ろに音響台を作る。音響台に音響操作のためのCDプレーヤー二台とミキサー、スピーカーを接続する。ミキサーというのは二台のCDプレーヤーを再生して一方を小さくして一方を大きくするなどの調整をするための機械だ。ミキサーを使うことで、今かけている曲の音量を小さくしつつ次の曲をかけ始めて徐々に音量を上げ、違和感なく曲を変えることができる。 音響と照明のどちらにも使う言葉だが、徐々に小さく(暗く)することをフェードアウト、徐々に大きく(明るく)することをフェードイン、フェードアウトとフェードインを組み合わせて別の曲(照明)へ変えることをクロスフェードという。また、突然曲(照明)を切る(落とす)ことをカットアウト、突然曲(照明)を入れる(つける)ことをカットインという。これらの言葉は演劇研究会に入ってから教えてもらった。 配線をつなぎ終え、お客さんがコードにつまづかないようにまとめる。つづけて、音響の最大値と照明の最大値を決める。客席にバラバラに部員が座り、スピーカーから出る限界の音を出して、徐々に小さくしていく。左右の音のバランスも調整する。照明も最大光量を出してから徐々に調整していく。これは部員たちに意見は聞くが、脚本演出の加藤先輩が最終決定権を持っている。加藤先輩は名前が俊輔であだ名はシュンだった。

  • 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編   第十六話

     三日後の土曜日に仕込みが行われた。仕込みというのは、照明や音響や舞台装置を全て本番と同じように使える状態にすることだ。仕込みは二年の山口先輩が取り仕切る。仕込みを取り仕切る人のことを舞台監督、略して舞監というらしい。 午前九時。二十名くらいいる部員全員がほぼ集まっている。なるべく人が集まれる日に設定されたので当然といえば当然だ。「はい、じゃあ今日一日で仕込みは終わらせるんで、よろしくおねがいします!じゃあ、やりますか」 山口さんがそう言うと全員が輪になった。「本番成功させるぞ!」 『おー!!』 なんだか楽しくなってきた。そわそわというか、わくわくというか。なにかおもしろいことが始まりそうな予感がした。「照明から吊っていきます!ブラザーさんと田中さん、お願いします」 二人とも背が高い先輩だ。ブラザーさんというのは、今回主役をやる四年の中村先輩のことだ。演劇研究会には変なあだ名の先輩がわりと多い。なぜそういうあだ名がついたのか気になるものばかりだ。田中先輩はふつうに田中さんと呼ばれている。 ブラザーさんと田中さんはそれぞれ昨日用意していた脚立を準備する。他の部員たちは山口さんの指示に従ってフロントライトを渡していく。田中さんは天井にかけられた骨組みにぶら下がって脚立を足で動かし、移動する。田中さんは平気そうだが見ている方は落ちないかひやひやした。「ナベくん、こっち手伝ってもらっていい?」 僕は大道具の佐々木さんに声をかけられた。僕の名前はいつものようにナベになっていた。渡辺姓の人はおそらくみんなそうなのではないだろうか。「了解です。よろしくおねがいします」 僕は照明助手としてはあまりやることがなく、よく大道具を手伝っていたので佐々木さんの大道具を手伝っていることが多かった。僕も大道具の仕事はおもしろかったので、大道具助手のような感じになっていた。数日前にペンキ塗りをした舞台装置は、乾いたあとも二度塗り、三度塗りをしていた。そうすることでムラがわかりにくくなるのだそうだ。 男子部員たちが佐々木さんの指示に従って舞台装置を組み立てていく。それぞれの壁が倒れないよう三角形の足を取り付け、壁同士の木枠を五寸釘を打って繋いでいく。上手の奥と手前に一箇所ずつ、下手の奥と手前に一箇所ずつ、合計四箇所の舞台袖ができた。一番奥には

  • 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編   第十五話

     当然ながらペンキはすぐに乾かない。けれど稽古は始めたいので、舞台装置を自立させるためのものを取り付ける。演劇研究会で「足」と呼ばれている、三角形の木枠だ。これを舞台装置に釘で接続する。舞台装置に足をつけて乾燥させればその分スペースがあく。ペンキのにおいが薄くなるまで換気してから稽古が始まった。 すでに脚本は完成していた。僕も全ての台本をもらっていた。脚本の題名は「the end of the world」。世界の終わり。僕は人より数倍以上の読書量だという自負はあり、物語に対して一定レベルの批評眼は持っているつもりだ。それでもこの脚本はおもしろいと感じた。それを個人の一大学生が書いたというのは驚きだった。もちろん台本には地の文の代わりにト書きがあって、僕は今まで台本を読んだことはない。台本として完成されたものかどうかはわからない。それでも物語として楽しめた。 大学生のときに友人同士だった三人のうちの一人が卒業後に働き始めてから自殺するところから始まる、後悔と喪失と再生の物語だった。シリアスな場面とギャグシーンのバランスが良く、観ていて飽きさせなかった。 僕は照明の助手をしているが、照明を操作するのは二年の佐藤先輩だった。みんなから旦那と呼ばれている。よくわからない貫禄というか頼りがいがあり、太っていてひょうきんな先輩だった。 照明にはいくつか種類がある。天井から舞台全体を照らす地明かり、上から一人にスポットライトを当てるサス、下から照らすフットライト、顔に影を作らせないためのフロントライト、舞台から客席に向かって光を当てるバックライト、横からスポットライトを当てるサイドスポット。多目的ホールに備えられた照明設備はこのくらいだった。僕はサイドスポットを動かす仕事を割り当てられた。照明は調光盤を使って操作するが、サイドスポットは独立して操作しなければならないので、一人専門でついて動かす必要があった。仕事は少ないが演出効果に与える影響は大きいので責任は重大だった。

  • 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編   第十四話

     あっという間にゴールデンウィークに突入した。ゴールデンウィークが明けると、次の週の金曜日から日曜日まで公演が行われる。本番が近いのでゴールデンウィークも関係なく稽古が行われる。休みの日に学校へ行くなんて久しぶりだった。「ちゃんと勉強してんのかい?遊んでばっかりじゃだめだよ」と母から注意された。「まあ、やってるよ」と僕も軽く答える。僕は勉強については心配していない。高校受験の時も大学受験の時も、勉強しすぎて母からもう少し休んだほうがいいんじゃないの?と心配されたほどだ。だからまあ、母も本気で心配しているわけではないだろう。スイッチを入れたらちゃんとできる自信はある。というか、勉強することくらいしか自信がない。試験も七月なのでまだまだ先だ。 それよりも、僕は遊んでいる感覚なんてなかった。演劇を遊びでやっているつもりがない。新鮮な出来事ばかりで楽しいが、真剣にやっていた。新しいことを学んでいる感覚だ。そもそも僕は遊び方を知らない。遊びと称されることをしたことはあるが、それをして楽しんでいたかというと甚だ疑問だ。子どもは遊ぶものだろう、遊びに興じているふりをしていたほうが大人は安心するのだろう、と考えて遊びに参加していた気がする。 大学へ着くとまっすぐ部室へ向かう。やはり休日は人が少ない。運動系のサークルが目に付くくらいだ。今日から多目的ホールは本番を終えるまで演劇研究会で貸し切っている。舞台を設営したままにするからだ。舞台装置はすでに作り終え、あとはペンキを塗って組み立てれば完成だった。 ジャージに着替えて多目的ホールへ向かうと、海外の業務用トマトのホール缶みたいな缶に入ったペンキが並んでいた。大道具の佐々木先輩が指揮を取って全員でペンキを塗る。白ペンキに少量の赤ペンキを混ぜて水で薄める。ペンキは水で薄めて使うなんて知らなかった。世の中はまだまだ知らないことだらけだ。 舞台装置は前日にブルーシートを敷いた多目的ホールの中に運び込んでいた。ハケとローラーを使って舞台装置にペンキを塗っていく。最初のうちはジャージにペンキがつかないように恐る恐る塗っていたが、気づかないうちに撥ねていて、ペンキがついていたほうが演劇部のジャー

  • 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編   第十三話

     次の日には清水さんという一年の女子学生が演劇研究会に入部した。背が低くてふっくらしていて、メガネをかけている子だ。見学には来ていただろうか。覚えていない。一週間もするとだいたいの演劇研究会のメンバーと顔見知りになった。授業がない時はだいたい部室に行って漫画を読んでいるか、図書室で小説を読んでいた。 サークル棟の多目的ホールは、演劇研究会では月・水・金曜に使うことができた。火曜と木曜は授業で使う本館の教室を借りて稽古が行われていた。多目的ホールを使えない時は照明助手として特にやることがないので、大道具の手伝いをしていた。大道具は三年の佐々木先輩が担当している。父親が大工なのだそうで、木材の扱いに慣れていた。舞台装置がどのようなものなのか僕は全く知らなかったけれど、指示に従って舞台を作るのは新鮮でおもしろかった。 のこぎりの切り始めは最初に少し切れ目を入れてから挽き始めるとか釘は軽く打って少し埋まってから最後まで打つとか、学校の技術家庭科の授業で習ったような記憶はあるが、本格的に実践したことはなかった。ベニヤ板はホームセンターなどで一八〇センチ✕九〇センチの大きさで売っているが、そもそもの単位は一間✕半間で、一八〇✕九〇センチよりも微妙に大きく、長さがそろっているわけではないなんてことは知らなかった。 今は舞台袖となる壁を作っているところだ。二四〇センチ✕九〇センチの壁を何枚も作っている。二四〇センチの角材があればそのまま使うが、だいたいそれよりも短いものしかない。演劇部専用のものではないが、サークル棟の近くに倉庫があり、過去の公演で使った舞台装置がバラされて保管されている。それをまた角材とベニヤ板にバラしてリサイクルして、代々使っているそうだ。代々と言っても、演劇研究会ができたのは数年前らしい。脚本演出の加藤先輩の、一年上の先輩が作ったと言っていた。 短い角材同士をつないで二四〇センチにするのだが、つなぎ目には短い角材を上において角材同士を五寸釘くらいの太い釘で打ち付けるとしっかりつながる。五寸釘はよく人を呪う場面で使われている、あの釘だ。そうして角材の枠を作り、枠にベニヤ板を置いて小さな釘で枠とベニヤ板をつなぐ。それができたら枠の中に右上角と左下角、または左上角と右下

  • 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 入学編   第十二話

     稽古の時間になった。このまえの見学では先輩たちが全員ジャージを着ていたので、僕もジャージを持ってきていた。女子は多目的ホールの中にある調光室で着替え、男子はその場で着替えた。調光室というのは多目的ホールの照明を調整する機械が設置された部屋だ。 柔軟運動の時間になったが、今日は各自で柔軟運動をしている。この前は一年生が見学に来ていたから一緒にしたのだろうか。橋本さんも上はTシャツ、下はジャージで柔軟運動をしている。Tシャツ姿になると本当に目のやり場に困るので視界に入らないよう意識する。 稽古場には、この前見学に来ていた一年生がもう二人いた。背が小さくて体も細くてぱっと見た感じでは中学生と言っても良さそうな子と、逆に少し背の低い男子学生くらいの、女性にしては背が高い子だ。背の低い方は池田理恵さん、背の高い方は岡田瞳さんという。さっき部室で紹介された。二人は友人同士なのだろう、仲よさげに話しながら柔軟運動をしている。僕は静かに柔軟運動をしている。CDラジカセからたぶん聞いたことがあるJ-POPの曲が流れている。 この前と同じようにストップモーションと発声練習と筋トレを終えると稽古が始まった。とりあえず、ということで今回の公演では僕は照明の助手として参加することになった。助手と言っても知識はなにもないので照明についていろいろ教えてもらうだけだ。今回照明を担当しているのは、おっとりした二年の山崎先輩と三年で部長の鈴木先輩だ。あとで知ったのだが、二人は付き合っているらしい。背が高い三年の田中先輩とメイン役を演じている二年の前田先輩も付き合っているらしい。誰と誰が付き合ってるとか、高校よりも多くなった感じがする。やはり年齢が上がると増えるのだろう。「はい、じゃあ新しく書いた分くばりまーす」 脚本演出の加藤先輩がA3用紙の束を抱えて持ってきた。まだ脚本は完成していないらしい。あと一ヶ月後に本番を迎えるみたいだが、そういうものなのだろうか。ノートに鉛筆か何かで手書きした脚本をコピーしたものらしい。役職は脚本家だが、配られたものは台本と呼ばれている。どう違うのだろう。紙が全員に行き渡ると、役者陣が輪になって台本を読む。けれどバイトで休んでいる部員もいる。「ガジン、ゴウくんの代わりやっ

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